北風とチョコレート
土手沿いの道、北風が吹いて、たまらずマフラーを鼻の下まで持ち上げる。水と枯草と羊毛の微かな匂いで鼻腔が満たされると、ふっと、チョコレートとオレンジの甘い香りが、思い出された。
人生で初めて、恋人からチョコレートを貰ったのは、土手だった。ひとつひとつ、小さなビニールで、丁寧に包装されたオランジェットが、箱いっぱいに詰められていて、宝石の様に光っていたっけ。
あの日のオランジェットの味を思い出そうとしていた時、左手の中の携帯電話が震えた。
電話に出ると、少し拗ねた様な声が聞こえてきた。
「もう。ティッシュを買いにどこまで行ってるのよ。もう着く?」
もう、着くよ、そう応えると、今度は少し嬉しそうな声がした。
「あ、そうだ。今年のバレンタインは何が良い?」
ポケットの中、婚約指輪のケースを、右手でそっと握りながら、僕は応えた。
そうだな、今年は、初めて君から貰ったガトーショコラがいいかな。
もう、オレンジの香りはしなかった。